[3/3]『空間知性』とは ― 感じ、構築し、創造する人間の知
この空間には叡智が満ちている‥
AI時代の教育ー『空間知性』
空間知性とは、動き続ける現実を見て、関係性を感じ取り、意味を見いだし、未来を描く力。
AIには代替できない人間ならではのもの『空間知性』
空間知性 ― 感じ、構築し、創造する人間の知
空間知性は、知識やスキルではなく「人間の存在のあり方」として生成される。
未来教育プロジェクト学習は、その生成のプロセスを体系化し、
感じ、構築し、創造し、未来へと実現していく力を高める。
それは、AI時代の教育がめざす“人間の知の再生そのものである。
1.空間にこそ叡智が詰まっている
空間には、さまざまなものが満ちている。
この世界に固定不変のものはなく、目の前の現実は常に動いている。
世界は動き、空間もまた動いている。
学びとは、この世界を理解し、未来を創造するための行いである。
もし学びの目的が世界の理解にあるならば、
私たちはまず「目の前の空間=現実の一部」を見なければならない。
その動きと関係のなかにこそ、叡智が宿っている。
2.動く世界を理解するために、人は“固定”を求める
すべてのものは動き、振動し、関わり合って存在している。
しかし、人が「知りたい」「学びたい」と願うとき、
その対象に“静止”を求めてしまう。
葉を観察しようとすれば、スケッチのために一枚の葉を固定するように——。
学ぶとは、本来動的な世界を一時的に静止させ、
その構造を把握・構築しようとする営みでもある。
それは人間の本能的な方法であり、同時に限界でもある。
3.部分を学ぶと、全体を見失う
世界のすべては、単体で存在することなく、常に他と関わり合っている。
しかし、人は理解のために細分化する。
部分を切り取ることで、一時的に見やすく、扱いやすくするためである。
けれども、部分の理解だけでは「全体」は見えない。
飛ぶ鳥を分解しても、空を飛ぶ鳥の真の姿はつかめない。
学びには、関係性の構築と全体の俯瞰が必要である。
4.静止した教育は、動いている世界を映せない
社会は国語・算数・理科・社会のように分かれてはいない。
それらは本来、複雑に絡み合い、融合している。
にもかかわらず、学校教育では「静止画」として世界を扱っている。
動いている世界を単純化し、部分化し、正解を一つに決めてしまう。
こうして教育は、動的で多層的な「この世の真実」から遠ざかっていく。
空間知性の教育とは、動く世界を構築的に捉え、
そこから創造的に未来を描く教育である。
5.空間知性 ―
動く世界を感じ、構築し、創造し、未来を描く力
空間知性とは、
-
動きと関係の中にある世界をそのまま感じ取る力
-
静止化や分解に頼らず、全体の流れを俯瞰する力
-
関係を構築し、そこから意味を創造する力
-
現実に触れ、未来のビジョンを描く知性
それは、振動しながら存在するこの世界に共鳴し、
AIには果たせない、人間ならではの感性と創造の知である。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
空間知性 ― 現実を感じとり、その全体をとらえる知
この世界に、単体で存在するものは一つもない。
すべては、他のものと関わり合い、影響し合いながら存在している。
1.部分を見て、全体を見失うということ
私たちは理解のために世界を細分化する。
部分に分けることで見えやすく、扱いやすくするためだ。
だが、部分だけを見ていては全体は見えない。
たとえば、飛んでいる鳥を分解しても、
「空を飛ぶ鳥」の本当の姿はつかめない。
世界は常に動き、関わり合っている。
それを静止した断片として切り取ることは、
一瞬の理解にはつながっても、本質の理解には届かない。
2.学びとは、動いている世界を見つめること
学びの目的を「この世界を理解すること」とするなら、
私たちは、まず目の前の現実を見る必要がある。
スクリーン越しの映像でも、
誰かが編集した情報でもなく、
「いま、ここで起きている現実」に目を向ける。
私たちはその空間で生き、その中でよりよく生きるために学ぶ。
目の前の現実は、一瞬たりとも止まらない。
風が吹き、光が揺れ、人が動き、心が変わる。
しかし学校教育では、動的な世界を扱いにくいため、
静止したものとして単純化し、
正解・不正解という“止まった知”に変換して教えてきた。
だが、本来の世界は複雑で、動的で、融合的である。
国語も算数も理科も社会も分けられるものではなく、
現実の社会は、それらすべてが絡み合って存在している。
3.俯瞰する知 ― 空間知性
細分化して学ぶことは悪いことではない。
しかし、学びの本質は「部分を超えて全体を見ること」にある。
全体を俯瞰し、関係の流れを理解し、動く世界の中に秩序や意味を見出す。
この知的な営みこそが空間知性である。
空間知性とは、
動きの中に関係を見出す力
静止に頼らず、流れを理解する力
断片を超えて全体を構築する力
である。
4.空間を見つめる人 ― 動く世界に共鳴するまなざし
レオナルド・ダ・ヴィンチのノートの中には、葉・樹木・木の枝・光と影の変化など、自然の中の動きや変化を観察した記録が多数残っています。水の流れ、光の揺らぎ、葉の震え、風の軌跡――。自然の細部を長時間観察し、「見えたものを頭の中に描く」ことを通じて作品や発明に繫げていたという後世の解説があります。
彼はそれらを「止まった対象」としてではなく、
絶えず変化する世界として見つめた。
しかし、こうしたまなざしは彼だけの特別なものではない。
5.現実と共に生きる知
看護師の手技も同じである。
人の身体や心は、決して静止していない。
看護師は、相手の動きや呼吸、表情、言葉の響きを感じ取りながら、
手を動かし、声をかけ、その反応から情報を獲得する。
そこには、動く世界を感じ取り、意味を読み取り、行動に変える知性がある。
看護師が患者の呼吸やまなざしの変化を感じ取るとき、
建築家が光や風、人の動きを想像しながら空間を描くとき、
教師が教室の空気の流れや子どもの表情から学びの状態を読み――
動く現実を見つめ「動く世界を動いたまま理解しようとする」このことこそ、
人間に宿る空間知性に共通した知の獲得のふるまい。
それが、人間にしか持ち得ない知――空間知性である。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
世界は常に動いている。
その動きと関係の中にある秩序を感じ取り、構築し、創造する力。
それが「空間知性」であり、人間が未来を築くための知である。
*アセスメントと簡単に言ってはいけないと私は思う
少なくとも看護学生を育てようと思ったらアセスメントの出だしである「目の前の現実からの情報獲得」こそを大事にしなくてはならない、それが生成・成果につながるスタートだから
だからレオナルドダビンチダのように目の前の現実を見よう
