【未来教育MM695】教育DX‥アーティストはオリジナルを愛する

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【鈴木敏恵の未来教育インフォメーション】
第695号/2022年2月26日発行[転送可]
発行者:シンクタンク未来教育ビジョン
鈴木敏恵( https://www.suzuki-toshie.net
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目次

人はみなアーティスト

私が自分をとても幸せと思い毎日感謝して生きているのには理由があります。
お金で買えないものを持っているからです。
あらためてそれをつくづく感じることが出来たのが先日の西阪先生との対話です。

【YouTube】西阪先生との対話
https://youtu.be/ZkzD5fFQWCo

Zoom対話で久々にお話しした際、教育DXのよき実現とも言える未来教育へたくさんの価値あるキーワードをいただきました。

・学びはプライスレス
・それぞれの人間の生き方がプライスレス
・知のバリエーションを子どもたちに見せよう!

などなど、素敵な言葉がありましたが、なかでもうれしく心に残るのは‥

・人はみなアーティスト(56:28あたり)

ということを話したことです。

アーティストはオリジナルを愛す

DXがもたらす未来教育の方向もこの「人はみなアーティスト」というキーワードに集約されると感じています。

アーティストは「みんなおんなじ」や「ふつう」ということを好みません。アーティストは自分の作品が独自なものであること、オリジナルであることを本能的に大切にします。

人はみなアーティスト、だとすれば‥教育は?

人はみなアーティスト、だとすれば、子どもたちや若者たちも無意識のうちに「みんなおんなじ」や「ふつう」であることを気にしていたことから決別し、一人ひとりの考えや生み出すことや物事への感じ方などが違うことに魅力を互いに感じるようになる。それはかなり心を自由にしてくれるはずです、なぜならもともとみな同じではないのですからです!

長方形の同じ形の教室でみんな一緒に同じものを同じように学び、同じ評価の観点で評価してきたことが変わる‥‥‥ 一人ひとり違う才能や得意を大切にして伸ばすことに変わる、ここをDXが叶えてくれるようになる。

もちろんそれは、単に一斉授業から個別最適化ということで、デジタル教材の進捗の速さや表示が変わるということではなく、その方向や内容や選択のバリエーションが思いっきり多様になるということ、それ以上に、人々の教育への考え方や意識が変わるということです。

ロボットやAIでは叶わないもの

オリジナルとは「独自のもの」ということだけでなく、独創的な見方、捉え方「そんな、ものの見方なかったよ!」という驚きを感じさせるものでもあります。

例えば北斎の神奈川沖浪裏の波の絵を見た時のヨーロッパの画家が驚いたみたいに‥波は見たことがあっても「こう見たことはない‥!」ということも究極のオリジナルな感性と言えるでしょう。

本当はみな自分だけに見えるものがある、それこそが価値をもつ、ロボットやAIでは叶わないもの、人間だけが持つものが価値を持つ時代になる‥学校でみんなといろいろなことが違くて浮いていた私は、ここにすごくワクワクするのです(今でも学校で、みんなと同じようにふるまえなくて、それが出来なくて、自分がヘン、おかしいの?と戸惑っている子がいると思う)

★☆*:.。. .。.:*

DXはもう始まっています。デジタルの監視と決済で「無人のコンビニ」。
そのコンビニ弁当を作る過程、流れ作業の中に人間に混じりロボットが一連の動きでオカズを詰めている。

確かにこれまで人間がやってきた仕事がデジタル化されテクノロジーにどんどん置き換わりつつある。
すでに時代は大きく動き出していることを実感します。
でも、それはちっともネガティブなことではなく、まさしくブルーオーシャンだらけだよ!ワクワクね!と子どもたちへ伝えたい。

しかし、その前に私たち大人が、自分の目で未来を見て、勇気持って決断することがいると思います。

「教育も評価」も根本的に変わらなくては!とつくづく感じています。

教育者たちの「思考・判断・表現」は主体的?

教育はどう変わるのか?
一人ひとりが創造的な思考をもつ、自分で考え行動する主体性のある大人になる‥いい感じ!

ところで主体性ある?私たち大人?
子どもたちへ主体性を求める私たち大人に主体性があるのか?
そこを考えています。

ラーメンにしようか、カツ丼にしようか、それはどっちでもいいのです別に、主体的にランチを決定できなくてもいいんです。
生きていく中で一番大事なことだけ自分で主体的に決めることができれば。

私も含め教育に関わる人であれば、一番大事なことは、子どもたちにどう向かうのか?彼らにどんな言葉を発するのか?ということと思います。そこに主体性はあるのか?ということを考えずにはいられません。

主体的に動くためには、自ら情報を得ることが要る

主体性と自主性は違います。
自主性は、掃除をすることはもう決まっていて「自主的に掃除をする」という感じです。

主体性とは、目の前の現実を自分で見て(見るということは情報獲得)自分から情報へ手を伸ばし、考え、どんな方向を目指すのか、判断し、明確にありたい状態(ビジョン)を描き、行動する-それが主体性。

主体的に動くためには「自ら情報を得る」ことが要る、ここが何より大事です。
「与えられる資料や情報」だけでは自ら賢く聡明に考えたり判断することは出来ませんから。

自分で未来を描く

大事なのは、自分で描くビジョンの存在だと思います、ビジョンこそが「何のために」という根源ですから。

日本各地の教育機関や学校を訪れていると、日本中の教育者が一斉に一句違わないまったく同じ表現の教育ビジョンを口にすることに気づきます。
ここまで統制がとれている仕組みに私は驚きました。

そのとき、子どもたちへ主体性を求めることができるのか?私たち大人が果たして、自ら考え判断して生きているのか?と感じました。

自分でもそう出来ていないとき、子どもたちや新人やスタッフへ「主体的に!」と言ってもちょっとモンモンとします。

「そうしたいけど出来ない時もある、でもその中でできる限り挑戦している、大事なことはちゃんとある、私の中に‥」そうきっと心の中に決意があるのでは、と感じています。

「人はみなアーティスト」という言葉に自ら触発され、胸に湧いたことを書きました‥
次号は「DXポートフォリオで教育を変える」です!

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