【未来教育MM691】教育DX‥『愛と教育が近い未来』へ

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【鈴木敏恵の未来教育インフォメーション】
第691号/2022年1月17日発行[転送可]
発行者:シンクタンク未来教育ビジョン
鈴木敏恵( https://www.suzuki-toshie.net
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目次

魂が輝くとき

自己肯定感や自尊感情はいると思う、最重要だと思う
学ぶ意欲が低いとか主体性が‥とか、思考、判断、表現をどう高めるかなど話しあわれるけど
大概は、その前に自己肯定感が‥と行き着くのは、教育関係者ばかりではないと思う

好きで自己肯定感や自尊感情が低いわけじゃない、足りなかった愛とか居場所とか背景があるんだ‥
だから、みんな幸せならいいな、中学生の時はそう思ってた

でも自己肯定感や自尊感情が不安定でもハッピーでなくても‥とも思う
例えば 絵描なら、自己へか 他者へか‥他者からか‥愛を求めて心破綻、悶々‥でバランスは
決して良くない、でもだからか
魂に響く忘れられない作品を残してるのはゴーギャンやゴッホだけじゃない

もし人類が皆、ふんわり幸せで、いやなこと辛いことが一つもなかったらどんなにいいだろう
でも世界に魂を揺さぶる作品は誕生していないだろう
人間は輝かないだろう
ハッピーならいいってもんでもない
世の中はマークシートみたいに単純じゃない

世界は今現在も心奪う伏線に満ちている‥新しい年の始まり、この不思議さにちょっとワクワクしてる!

「思考力・判断力・表現力」の対話カード
「思考力・判断力・表現力」の対話カード

教育DX‥与えられた学びから「意志ある学び」へ

何がデジタルで変革するの?

DXは、デジタル・トランスフォーメーション、それは単なるデジタル化ではなく、デジタル化により今まで当たり前と思っていたことが根本的に変わること、変革。

では、教育DXとはなんでしょうか。
今までの[授業や教育]に「ICTが導入されること」でも学びの手段が「デジタル化」するでもなく、もちろん1人1台と校内のwi-fi環境が整備されることでもないでしょう、それらは手段ですから。

教育DXとは、「今までの授業や教育」そのものが変革すること、と捉える方がその理念に近いでしょう。

なるほど、で?それって何?って感じです。
もうちょっと明確にしてみたいと思います。そのために授業とは何か、教育とは何か?を考えてみます。

辞書には次のようにあります。

【授業】学校などで学問・技術などを教え授けること。
【教育】教えて知能をつけること。人の心身両面にわたって、またある技能について、
その才能を伸ばすために教えること。 

辞書を見なくても「授業や教育」と言えば次のようなイメージが頭に浮かびます。

学校の真っ直ぐな長い廊下。
その片側に同じ形の教室が並んでいる。
教室の正面に黒板がある
やや端に先生の陣地(?)がある。
先生は、教室の前にたち黒板と教科書を使い子どもたちへ教える。
子どもたちは、先生が書いた板書をノートに写す。

この当たり前が変わる‥。

知(ミーム)の流れが一方向でなくなる

「授業や教育」とはどんなものか?辞書にもイメージにも共通しているのは、先生から生徒へ教える=一方向に移行する“知識や技術”の存在です、それはミームとも言えるかもしれません。
※ミームとは‥ https://bit.ly/3nstwAd

ここから、この“知識や技術”を「知」と表現します。
この「知」の存在があればこそ、世界のどこの国でも学校や教育に対し敬意を払い、それこそが社会の基盤と重要性を認めてきたのでしょう。

長い間、本当に長い間そこで「知」は、先生から生徒へと伝えられてきました。

しかしDXの波でこの「知」の流れや生成が根源的に変わる、これが教育DXの本質と捉えることができます。

ここから、以下の図を見ながら読んでください。

[図]教育の進化(変革)
[図]教育の進化(変革)

3段に分かれた線は、教育の進化を、過去、現在、未来と上から下へ視覚化したものです。

過去(コマンド)から現在(ティーチング)に、至る教育は、黒板や教科書を使い「知」は先生から生徒へ与えられていました。

過去:コマンドへ「はい!」は危うい

「これを食べなさい」と口元へリンゴ(知識)を与えてくれる先生は一見すごく親切のようですが子ども自身は、口に入れるものの意味も価値もわからぬままということもあるでしょう。

「これを覚えましょう」「はい!」というやりとりは一見、美しい感じもしますが、ときに「何も考えてないな、、」という受け止めもできるはずです。

この教育の成果として、身につくのは、従順性かもしれません。素直は素敵なことですが従順は危うい限りです。

現在:ティーチングは正解のある教育に有効

先人が発見したり作り上げたことの中には大切なことがたくさんあります。正しいことはしっかり教えて引き継がなくてはいけません。

赤信号で止まります、青信号で進みます。
血が出たら止血します。
天体の動きには法則があります。
モノは丁寧に作ります。

しっかり「知」を子ども達へ教える必要があります。
ティーチングすることで、子どもたちは「知識・技術」を身につけます。

しかしティーチングという教育手段が使えるのは「正解のあるもの」という前提条件があります。
そして子どもたちが身につけた知識やスキルは陳腐化することもあると覚悟しておく必要もあるでしょう。

未来:対話コーチングで「創造的な思考」

今、子どもたちは教科書より新しい知識をいつでも手にすることができますし、定形のものづくりなど技術的な仕事もロボットや3Dプリンターが正確に行ってくれます。

先生から子どもたちへ今まで通りに教え次ぐという「知」のあり様は、もはやここにはありません。

一人一台のコンピュータを手にした子どもたちは、自ら手を伸ばし自ら「知」を獲得します。

教育DXで変革と言えるのは「知」の流れが、先生から生徒へ一方向であったものが、先生を介さずとも、子どもたちが自ら知識や情報へ手を伸ばし獲得することができるようになった、それだけではありません。

新しい教育-プロジェクト学習やポートフォリオをプラットフォームとする学びを行うことで子どもたち自身が創造的に新しい「知」を生みあげるというシーンがすでに多くの学校で始まっています。

※プロジェクト学習の『知の成果物』
https://suzuki-toshie.net/miraikyoiku_design/

子どもたち、若者たちが「リンゴ」をこの世界に生み出しているのです。

この世は知の果樹園

今まで教科書の中にあり上から下へ川の流れのように一方向であった「知」の動きですが、今やそれは、大気中の気流のような、新次元の「知」として自由自在な動きをする進化をもたらしています。

専門家や海外の現場から直接、子どもたちが得られる「飛躍する“知”」であったり、子どもたちが、地域などへ出向き直に獲得してきた「新鮮な“知”」であったり、それを即座に世界中の仲間と「共有する“知”」であったり、多様で彩り豊かなリンゴを生む、新しい知の世界はもう始まっているのです。

人間にしかできないこと

一般教科などの「正解がある学び」は、もはや身近になったオンライン学習で習得することができます。
個別最適化な学びに応える多様な教育アプリがすでに多く存在していますし、ネット上には教え上手な先生も(メタバース空間における教師も含め)多く存在します。

[図]教育の分水嶺
[図]教育の分水嶺

では、教育DX後には、生身の学校の先生方はいらないのでしょうか?

もちろんそんなことはありません。
コンピュータにできることはコンピュータに任せて、先生は、総合的な探究や課題解決型の学び、プロジェクト学習など、現実の課題と向き合う「正解のない学び」に注力するということになるでしょう、それはデジタル空間の教師にはできないこと、だからです。

プロジェクト学習の課題は『現実』の中にあります。その現実に子どもたちと一緒に日々生きているのは、子どもたちのすぐそばにいる先生方です。

いくらネット上でわかりやすく解説してくれる講師やその分野の専門家がいたとしても、子どもたちと一緒にプロジェクト学習のステージであるこの現実にともに生きているのは生身の先生なのですから。

でも!学びの空間は明らかに変わり、近い未来、学びのステージは従来の教室を超え大気に輝く粒子のような「知」が自由自在に行き交う、そこで新しい「知」が誕生するオンライン空間にきっと移行するでしょう。

新しい時代、その学びのステージは今までの長方形の教室を超越し、街や自然というリアルで生きている世界と、そことパラレルに存在し時空を超えて仲間と自在に学び合えるデジタル空間が当たり前のステージとなるでしょう。

教育DX‥対面かオンラインか、どこが主たる教室なのかなどは重要なことではありません。
大事なのは、そこで何を身につけることができるか、知性と感性を輝かせ高めることができるのか‥その最適性です。

愛こそ原動力

[図]教育の進化(変革)
[図]教育の進化(変革)

教育DX‥自らリンゴへ手を伸ばす新しい教育。
知の果樹園へ「知」へ手を伸ばす子どもたち、先生方はコマンドやティーチングに代わり、対話コーチングで、学生たちへ関わります。
「このリンゴを食べなさい」とも「あのリンゴを採りなさい」とも言いません。

もし子どもたちが先生へ「私、どのリンゴを採ればいいでしょうか?」と聞いてきたら、

「あなたの願いは何?」「何のためにリンゴがいるの?」と返してください。

「えーと私の願いは、妹を笑顔にしたい、だからそのために‥アップルパイを作りたい、だからちょっと酸っぱい“紅玉”がいるの!」と意志を持って、ビジョンを胸に自ら「知」のリンゴに手を伸ばすことでしょう。

人は自分のためだけには、懸命にリンゴを獲ろうとしないものです。
その意志ある学びの原動力は、誰かを幸せにできるかもしれないという愛(他の人の役に立ちたいという気持ち)かなとも思います。

DXの波の音が聞こえます。
そこは‥先生方がいよいよ人間にしかできない新しい教育にワクワクと注力できる、楽しみな教育界のブルーオーシャン到来って感じがしています!

【YouTube】しあわせなポートフォリオ満載
[対話コーチング]カード

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