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【鈴木敏恵の未来教育インフォメーション】
第660号/2020年12月17日発行[転送可]
発行者:シンクタンク未来教育ビジョン
鈴木敏恵( https://www.suzuki-toshie.net )
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リフレクション:有馬朗人先生のこと
今回は、連載の続きを離れ、有馬朗人(ありま あきと)先生のこと、一番なことは何なのか、などリフレクションして考えたことを書いてみます。
心に残る有馬朗人先生
12月6日「元東大学長・文相の有馬朗人さん死去…」とニュースで知りました。
私の知る有馬先生は、その名の通り朗らかで、ハリのあるあたたかい声で学校現場を応援し、子どもたち若者たちの感性を大事にされる方でした。
有馬先生は、委員会の座長としてキビキビ進行される方でした、あいまいな言葉はあまり使わなかったように記憶します。先生はよく「鈴木さん意見はありますか?」とニコニコ私を指してくれました。
委員会に出席されている私以外の方は、何らかの組織の代表をされている立場の校長先生方であり発言もどうしても慎重にならざるを得ません。
一方、私はただ単純に教育現場を未来化するアイディアやそこに必要な通信環境などモノやコトを忖度無縁に次々に言うので、その会議の主旨でもある学校の教育や環境の充実にとっていい方向に向かいます(多分?‥)。
だからきっと有馬先生は、(発言しにくい他の方の代わりに)あなたが言いなさい、って言う大きな気持ちで私に発言させてくださったのかな‥と随分経ってから思いました。
有馬朗人先生からいただいた宝物
私が学校を未来化する本を出版するときに有馬先生からいただいた言葉が書かれた一枚の紙が手元にあります、もちろんポートフォリオに入っています。
その手書きの4行を見ると今でもあたたかい心を感じ、ここに応えられますようにと力が湧きます。
同時にこの評価に値するか?といまの自分を見ます、とくに有馬先生が2行目に吹き出しで書き足してくださった「行動し」と言う3文字がリフレクションの鍵として私に迫ります。
考えるだけでなく、行動=ふるまえているか?と自問させます。
リフレクションー今の自分と照らし合わせる
言う言葉も価値ありますが、紙に書いた言葉はまた違う力を持ちます。なので、私も学生や人と会ったとき、いいなっ!と感じたり、その方から大切なことを得たり学んだって思ったらその場で下手な字でもメモ用紙でも、書いてニッコリ渡すようにできるだけしています。
私が有馬先生からの紙を見て嬉しかったから。
書いてあれば何度も見ることができますし、何より、その時点からときを経た今の自分と照らし合わせて考えることができます。
時間は人を成長させてくれます。
過去より現在の私の方がきっと、よく考えられる人になっているでしょうし、未来はもっといろいろな視点でより深く考えたり気づいたりできる人になっているでしょうから。その時に、再びリフレクションするよりどころになります。
私の心の中では、有馬先生は生きています、本当にありがとうございました。
曲解された「円周率3」
有馬先生はたくさんの方に忘れ得ぬことを残された方とエピソードを語る人の多さに気づきます。
2020年12月11日の日経新聞朝刊一面コラムで、有馬先生の憤慨されていた、ゆとり教育で円周率は「3.14」ではなく「3でいい」となると曲解されて、世の中に誤解されたたま広がったことについて書かれていました。
以下その抜粋です。
~~晩年になっても有馬さんが嘆いていたのは、ある学習塾の、「円周率が『3』になる」という広告だ。新しい学習指導要領の曲解だったがこれが世間に広がって行く。「ポスターを見て驚いた。裁判に訴えたいくらいでした。」と有馬先生~~
当時、多くの大人たちが、この塾のポスターや誤りのまま広がった記事や識者(?)のコメントを信じ、こんなゆるい教育になるのか?「子どもを学校に任せられない」と言う空気で「塾」へ行かせました。
真実を確かめず、意図的なものにいとも簡単に翻弄されてしまう私たちがいます。
私も当時、信じてしまいました。
クリティカルシンキング(情報を見極める力)の教育が必要なのは、子どもたちではなく、私たち大人です。
ゆとり教育の誤解
学校ではダメだ、塾へ‥的な雰囲気はつくられたものでしょう、それに塾に行けない子もたくさんいます‥そもそも事実ではない、、私も憤慨しモンモンとしていた一人です。
そして考えているだけじゃなくて行動できることはないかなと思い「ゆとり教育の誤解」と言う動画をYouTubeに辻村哲夫(元文部省初等中等教育局長)先生と真面目に真実を追いつつも楽しくアップしました。
教育で大事なのは、スキルではなく意志
大事なことは「これは本当なのか?」と源をたどって自分で確認する、そのために、自分で知識や情報に手を伸ばすことがきるようになる教育を叶えたいと思います。
「真実を求める」、たとえ苦くても厄介でも事実が大事。だから真実を希求する自分を失わない。このことは、能力でもスキルでもなく生きる上での覚悟や意志とも思います。
これからの教育で大事とされている、論理的な思考力、判断力、課題解決力‥など「正解のない学び」、目の前の現実から自ら情報を獲得し、一つひとつ確かな知を積み上げ、それらを関連、関係させ最適解を見出す次世代の教育では、その根元に一つでも事実ではないあやふやがあれば思考プロセスの全体が崩れます、このことを私は建築で学びました。
(建築物は、それをつくるすべての過程において一切のあいまいさや不確かなものを許しません。ミリ単位で追う「通り芯」の線、その交差する点が柱の位置となります。
何層であったとしても微塵もズレなく垂直に立つ柱、それをつなぐ梁、スラブ‥と「事実」だけが積み重なり建築物は時を超え永久に存在することができます。)
どんなに言葉巧みな表現力があってもそこに真実がなければ意味がありません。
文部科学省-沈黙する中庭
先月、文部科学省で会議でした。いつも旧館を見ながら対比しつつ新しい文部科学省の建物、高層ビルへ向かいます。
外観はそのままの旧文部科学省庁舎=『再生建築』と『東館 高層ビル』を繋ぐ空間に以前のままのわずかの緑と土が歴史を経て中庭にあります。
この静寂の中庭をきっと有馬先生も沈黙で見つめたのではないか‥と胸に過ぎりました。