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【鈴木敏恵の未来教育インフォメーション】
第682号/2021年8月23日発行[転送可]
発行者:シンクタンク未来教育ビジョン
鈴木敏恵( http://www.suzuki-toshie.net )
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学校などの災害対応
人はパンより先に「情報」を求めるから!
豪雨、津波など広域・長期浸水に備えで大事なのは何か?
多くの人々が避難する学校や医療機関では、通信手段であるスマホの持続的使用ができる電源確保が重要と提言してきました。
実例としてソーラー充電スタンドを南海トラフの影響があり得る小学校へ寄贈した展開や設置ポイントを、鈴木敏恵とシャープ社の方の対話としたものをYouTubeへあらためてアップしました。
ぜひ視聴いただければ幸いです。
[シャープ社 ブログ]
https://blog.sharp.co.jp/2017/12/15/12251/
ポートフォリオで“教育と評価”を Rethinkしよう!
Rethinkとは?
Rethinkとは「考え直す」ということ。
誰でもみなその人なりの物事への見方や考えをもっています。それは生活や仕事をする中で必要なプラットフォームとも言えます。
しかしときにそれは、考えの硬直性や物事への思い込みとなり、変化へ立ち向かうときの妨げになるかも知れません。だから、新しいステージへ時代が移ろうとする今、Rethinkすることが必要と感じています。
“教育と評価”を Rethink しよう!
教育や評価に対しても無意識のうちに考えやイメージをみな持っています。それは概ね自分が経験したことを元にするものです。
たとえば‥
- 教育とは、子どもたちに知識を与えるもの
- みんな一緒、一斉に同じように出来ることはいいこと
- 長方形の教室に整然としている机でするのが学習の姿
- 物事には、正解がある
- 評価とは、テストで正解と照らし合わせて○×、何点とか数値化すること
- 結果を見て「出来ている、出来ていない」と判定するのが評価
無意識のうちにこんな考えがあります。しかしここをそのままに、オンライン化をはじめとする教育DX(デジタルがもたらす変革)を迎えることは出来ません。
正解のない創造的な学びの時代
これからは正解のない創造的な学びの時代です。ここにポートフォリオやプロジェクト学習が台頭しつつあります。
そのなか「どうポートフォリオで評価するのですか?」という質問をよくされます。
これらは評価=採点すること、という考えがあるから胸に湧くのだと思います。
「プロジェクト学習は、どう指導すればいいのか?」という質問もよくされます。
プロジェクト学習や探究的な学びには、正解がありません。
だから教師が、指導(→指し示して導く)する、という考え自体がフィットしません。
これらは、これまでの教育や評価を前提としている問いと思います。
世界中がものすごい勢いで変化しています。過去の学校や授業のイメージを拭い去り、教育・評価への考えを新しいものにする、そしてまっさらのところからしなやかにその未来を創造することが求められます。
‥‥教育・評価をRethinkする、ここに未来教育のプラットフォームとしてポートフォリオやプロジェクト学習の存在が活きます。
デジタルポートフォリオはどう活かされるか?
新型コロナウイルスの影響でGIGA構想は前倒しされ、学校現場に一人一台のPC整備が進みました。
現在も感染拡大は止む気配を見せません、コロナがどうであれ、オンライン学習も取り入れた学びの多様化、その日常化は必須です。
現在、小学校から高校まで主要な教科に対応するオンライン教材を提供する民間企業が私学だけでなく公教育の場へもその導入を急速に拡大しつつあります。
オンライン授業、デジタル教材‥‥学習者一人ひとり個別最適な学び、その進捗や選択は一人ひとり違います。学習の進捗や理解度などの状況だけでなく、課題に対し必要な情報を得るために、どんなサイトをどれだけ見たのか、目的に応じどんなデータをDLしたのか、あるいはどれだけの時間をかけて一つの課題や知的活動を行ったのか等々‥‥学びの軌跡は、学習者が特別なことをしなくともデジタルポートフォリオとしてクラウドに蓄積されます。
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教育へのAI導入「‥‥AIが自分だけのベテラン家庭教師のように、学習の進捗や躓き、理解度などをデータ分析して個別最適な学び(教材)を提示してくれる ― このことが子どもたちの主体的な授業を叶える‥」というような官民の提言パンフレットに書かれた教育の姿は、どこまで人間の未知なる潜在性を踏まえているのか?という関心とともに、その未来では一層、デジタルだけでないリアルな体験や学びの充実を踏まえたカリキュラムデザインがいるだろう‥と予想されます。
GIGA構想では、ポートフォリオは学習のプロセスが見えるので、教師だけでなく自己とのコミュニケーションの手段に有効とされています。
しかし実際にはどうなのか?
いずれにしてもテクノロジーが判断した学習行動だけではない、単純に数値化、データ化できない、思考プロセスや試行錯誤の様子とまどい、気持ちのカケラなども包括的に見ることを叶える一人ひとりのポートフォリオの存在は一層大切になるでしょう。
人間にしかできない教育、人間にしかできない評価‥ここにポートフォリオは不可欠です。
ここに応えるようにしばしば用いられる表現「ポートフォリオでプロセスを評価する」
「プロセスに関わり対話コーチングをする」とは実際にはどうするのか?
次号に続く