□□───────────────□□
【鈴木敏恵の未来教育インフォメーション】
第643号/2020年6月19日発行[転送可]
発行者:シンクタンク未来教育ビジョン
鈴木敏恵( http://www.suzuki-toshie.net )
□□───────────────□□
世界は複雑な総合からできている
学校は、無限の知を「ところてんつきで分けた学問・教科」を前提としている。
でも「教科」を全部足しても世界にはならない。
この世界は複雑な総合からなっているから。
子どもの時、時間割を見て、これは何の存在なのか?ってずっと考えていた‥
「この世界を理解するためにそこにある知識を分けて学ぶのよ」とか言ってくれたら「そうなんだ」って思ったかも知れない‥。
ダビンチは世界を本質で見ていた
レオナルド・ダ・ヴィンチは、色々な分野を手がけた人って考えるのは違うと思う。
ダビンチは、学者や知識人が決めた分野や視界で世界を見るのではなく、この世界を本質や普遍性でしか見なかった。
水の渦と毛先のカール‥万物、すべてのものに共通する本質はなんだろう‥と相関関係で見ようとしていた‥。
オンライン学習を超えて‥未来教育ビジョン
新型コロナウィルスの感染が収束しつつあるから、分散登校だけど、まずは“これまで”に戻れる!ではなく、これを機会にオンラインによる授業や学習が一気に進化することをとても願っています。
オンライン授業を、インターネットを手段とする学びと考えるのではなく、知識のありかとその動き(流れ)と言う視点で考えた方が、より未来をおさえた教育として考えることができそうです。
印刷機やインターネットが登場するまで、長い間「知識」は特権階級の人たちものでした。
今、インターネットとデバイスを誰もが日常的に空気のように使える時代になりました。
完全に、「知識」は先生から生徒へ一方向で教えるだけのものではなく、自由自在に誰でも手に入れることができるものになりました。
「学校の教室」はいつまでこのままか?
1994年ごろ、インターネットが登場した瞬間、私は「長方形の教室の時代は終えた」と思いました。
学校は知を提供するところなので、インターネットこそ教育のライフライン、だからすぐに私が描いた学び空間にインターネットをフルに取り入れ活かす未来教室が日本中に広がると考えていました。
1996年に小学館から出版した著作に「知識はインターネットに、先生はファシリテーターに」「黒板はなくなり、壁面スクリーンに」と書きました。
それから25年の月日が流れました。未だ私が描いた、多くの学校の未来化はまだやっと動き出した感で、叶っていません。
教室を超えて「知の共有」
先日の日経新聞に「オフィス不要か必要か」の見出しの記事、同日の違うページには、コロナ論文に関して「知の共有が世界で加速」という見出しが大きくありました。
学校、長方形の教室は、正面に黒板があり先生が教科書で教える‥「知識の流れは一方向」という過去の前提のもとに設計されたものです。
(そもそも、授業、授けるって、時代とずれてない?)
新型コロナウィルス感染を防ぐために急激に広がったオンライン学習は、時空を超えた新しい学びの手段、スタイルを多くの人に気づかせました。
今、ひととき収束し、分散登校などで学習者は、学校の教室へ戻りましたが、同時に「どうしてこの長方形の教室で何十人も長い時間一斉に学習していたんだろう」と気づいた人も少なからずいたのではないでしょうか?
オンラインなのだから‥時空を超えて学べる
今回、多くの学校でオンライン授業の対応が進み、授業を撮影して視聴できるようにしました。
‥A市立小学校でも、B県の教育委員会でも日本中、収録した動画がある。学習指導要領は日本中同じです、教科書もほぼ同じです。であれば、まさしくオンラインですから、学習者は自分の学校の先生が登場するオンライン授業でなくとも、他の県や市のわかりやすいオンライン授業を見て学んでもいいはずです。
いいえ、学校で収録された授業でなくとも、良質なコンテンツで学ぶことができます。
クオリティー高い知の世界‥すでに溢れてる
インターネットには授業で使える教育コンテンツが色々提供されています。
わかりやすい教材やしっかりした教育系ユーチューバーが学習者のモチベーションを掻き立てるパフォーマンスで知的関心を高めてくれたり‥クオリティーの高い映像の知の世界が存在します。
それを学校種別や科目などでどう活かせるか‥このマッチングも時間の問題でしょう。
[参考]京都大学大学院教育学研究科E.FORUM提供「子どもたち応援サイト」
https://bit.ly/2Xsu6Qv
では、学校の先生はどのような役割になるのか?
先生は、オンライン授業でどんな新しい教育をスタートするのか?
‥次号に続きます。