★★★★★★★★★ {未来教育提言.....ポートフォリオ} ★★★★★★★★
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これから6カ月後に、日本でもブレークするであろう「ポートフォリオ」について
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■■■■■■■■■■ 「ポートフォリオ評価」とは? ■■■■■■■■■■
{この内容は、1999文部時報(文部省発行)に掲載された鈴木敏恵の
「愛で未来教育!プロジェクト学習&ポートフォリオ評価」をさらに詳しく説明したものです。}2002.4.30
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■新しい評価法…「ポートフォリオ」とは?
新しい学習には、新しい評価が必要だ。総合学習のスタートに対し、英国や米国の
教育界で話題の「ポートフォリオ」が、日本でも広がる兆しをみせている。それはひとりの人間が、学びのプロセスで生み出す「学習成果」...文章・絵・作品・返却されたテスト用紙・調べ学習の情報メモや新聞の切り抜き・写真・ミィーティング録等
を一元的にファイルすることが基本となる(これを「元ポートフォリオ」と称す)。
ポートフォリオとは、モノであり、同時に考え方や、やり方でもある。
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■これまでの「評価のイメージ」を捨てる!
新しい時代の「学習」や「評価」を考える際に大切なことがある。それは、これまでの学習や評価に対するイメージを一度捨てるということだ。
先生が、黒板の前に立ち、知識を教えることだけが「学習」ではない。テストの結果が80点だとか、クラスで3番目だから、出来るいい生徒、というのがその子の「
評価」ではない。沢山の知識、暗記すること、同じ成果をあげること、を求めるなら
、コンピュータがやってくれる時代にすでに入っている。
新しい世紀の「学び」や「評価」は、もっと感性や直感を活かした、人間的で、独創性にあふれ、創造的なものと変化するだろう。そのデザインは外の誰でもない、実際に子ども達と毎日接している先生たちの中から、志あふれたユニットが形成され、
そこから誕生するようになるだろう。
「評価」は、「成長の変化」が見えるものだ。それは、「自分の証し」でもある。
それは、プロジェクトの経験で身に付いた能力やスキルや考え方の変化、表現力などを、「客観的に把握」出来て、次へ進む自分への「励み」ともなるものだ。「評価
」とは、まず自分で自分の成長を願い計ることなんだ、と心に刻もう。学習も評価も
誰かから"される"ものじゃない、順番をつけられ、〜と比べ劣る、と言われるものでもない、評価の目を意識した学習など偽物だ。学習も評価も、明日の自分のためにまず自分から自分へするものだ、それが未来の教育だ。この強い信念をまず先生たちが持とう。
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■「課題ファイル」をどう評価する
ポートフォリオとは、例えば子ども達の学習成果(レポートや情報メモや作成物..
etc)をすべて一元化しファイル化したもの(もとポートフォリオ)、という説明に対し次のような質問が寄せられる。
「子ども達が課題研究してファイルにしたものが”ポートフォリオ”だとすれば、
うちの学級では、ずっと前からやっていて、そのファイルは、学校の廊下の棚に、課題
別にきちんと並べてあります。問題は、それをどう評価すればいいのか?が知りたい
のです。」
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★評価手段-1「対話」
そのファイルを教師と生徒が共に見、1ページづつめくりながら、これを作成
していくプロセスでどんな力を得たか?についてきちんと「対話する時間」を
学習デザインのプロセスに加える。
★評価手段-2「文章化」--{主にスキルアップ確認&進化}
ファイルをめくりながら、どう成長をしたか?何が出来るようになったか?
どんなことが身についたか?などを生徒と教師が話しあい、確認しあい、その
ひとつひとつを箇条書きにしていく。
目に見えない成長を「言語化・文章化する」ことで確かに学習者が豊かな知的
向上やスキルアップを遂げていることが、明らかになる。
★評価手段-3「再構築」--主に{重要要素発見&構成力}
時系列でいろいろな学習成果が綴じてある、課題学習のファイルから、重要な
要素や課題の進化に繋がる観点(意味の発見・関係・重要な意味・新事実・自分
の視点・充分な展開力)だけピックアップし凝縮したり、シンプルに要点をまと
めたりして再構成する。それを「パネル」「紙芝居(フリップ)」やコンピュー
タで「マルチメデ ィア」構成する。
★評価手段-4「プレゼンテーション」
再構成した成果を「プレゼンテーション」。問題解決能力やコミュニケーショ
ン力の評価に比べ「表現力/プレゼンテーション」は、テクニカルな要素が高く
評価し易
い。 評価は、自己評価や教師評価ばかりでなく、発表を聴いてくれ
た参加者からもきちんとアンケートや意見を返してもらうことが、重要だ=外部
評価・オープン評価。
さらにそれらを活かして上達を目指すといい。
★評価表現を生み出す時のキー
--「序列意識を与えない」表現とする
--「誇りを尊重」した表現とする
--「モチベーションを高める」表現とする
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■■■■■■■■■■ ポートフォリオの本質
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■「ナレッジマネージメント」
いま、精鋭のビジネス戦略を描く企業マネージャーや先鋭のシンクタンクたちが強く関心を持ち、必ず満員になるセミナーのテーマは、「ナレッジマネージメント」だ
。「ナレッジマネージメント」とは何か?
ひとことで言ってしまえば、「知(情報
)の一元化による、価値ある知(情報)誕生へのしくみ」だ。
ナレッジは、Knowledge(知識・知)、マネージメントは、management(経営・管理)。
分かりやすく言ってみよう...書籍やコンピュータサーバーそして人間の脳の中に
は、あふれる程の「データや知識やノウハウ」が存在する(・・インターネット上には、無限の「データや知識やノウハウ」が存在する、と言い換えてもいいだろう。)。
しかし、このバラバラに点在する「データ」や「モノ」や「知識」その単体自体に
「価値」はない、単に「どこかに在る」だけでは「ゴミ」のようなものである。それが求める人の元に引き寄せられ、その目的に応じてそれらが活かされる時、それは、
はじめて「価値」を持つ。言い換えれば、「データやモノや知識」は、ある意図の元に集められ互いが関連しあってこそ、はじめて価値を持ち「知恵/ノウハウ」や「知識/ナレッジ」と呼ばれるものとなり、新しい思考や知性の誕生に発展するのだ。
この考え方や仕組みやシステムを、ナレッジマネージメントと呼ぶ。
そのためには、前提として、求める「情報」の在処が判かっている必要がある。それが「ある意図の元に集められる」ことが要る、これを「一元化」という。
「ナレッジマネージメント」とは、<点在する知><暗黙知><居所なきデータ>
を、<生きる情報、価値ある知>に変える、<目的や意味>を持った<概念やシステム>のことを指す。それこそが、プロジェクトの成果ために必要な手段として、いま、先端の人々が強く関心を寄せているのだ。
実は、世界の教育界で大きく話題になりつつある「ポートフォリオ」の本質も、この「ナレッジマネージメント」にある。
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■点在している私の「学習成果」
小学校〜中学〜高校〜大学...私は学校で学び、成長するために多くの時間を過ごしてきた。その間にどれだけの学習をしてきただろう、その「学習成果」の「モノ」
は、いまどこにあるだろう?。例えば、作文、返されたテスト用紙、描いた絵、レポート、図面、提出したスケッチパース、模型作品...この「学習成果」のうち、あるものは紛失し、あるものは引出しの中や押入の奥、棚の上、またあるものは、学校から返して貰っていないものもある。それぞれは、過去の遺物としておそらく殆どゴミ
化している。すべては散在しているか、紛失してる。たった一年間の分でさえ無くあちらこちらに分散してしまっている、この点在する「学習成果」は、価値を持たず、活きることがない。
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■「知的進化」を綴じるファイル
これが私の「ポートフォリオ」だ!!
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しかし、もし私が「一年間に一冊のファイル」を持ち、とにかくそこにすべての「
学習成果」のモノ・・返還されたテスト用紙、作文、作った模型写真や図面、描いた
デザインスケッチなどを「時系列で綴じて」いたらどうだろう? それを一年間の終
わりに机の上に置き、先生と「対話」しながらパラパラとめくっていったらどうだろう?そこから一年前には出来なかったことが、「出来るようになった私」が見えるだろう、学習や訓練を繰り返してきたお陰で「私の身に付いた力」や、新しい経験や知識を受け入れたり、教室でみんなと意見交換して話し合ったりしてきたことで「成長した自分」が見えるだろう。また次の年に私が何を勉強すればいいのか?「これから
の私に必要な学習」も見えるだろう・・・。
このような「重要な気づき」が出来るのも、これまでの私の「学習成果」が「一元化」し、私の手元にあればこそだ、このファイルが「ポートフォリオ」なのだ。
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■ポートフォリオ=情報の一元化
ばらばらの「情報や知」は価値を持たないが、「一元化することにより、見えてくるもの」がある。
ポートフォリオとは何か? 本質的に言えば、それは散在していた「知のかけら」や「結果」を「一元化すること」に尽きる。ポートフォリオの本質とは、「点在」する「学習成果(情報)」を「一元化」することにより「価値ある情報」に生まれ変わらせることにある。
つまり「ナレッジマネージメント」も「ポートフォリオ」も「目的ある、情報の一元化」であるところにその本質があるということだ。
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■ポートフォリオへの「眼力」
プロジェクトベースで学習を進めて行く際、その設計や評価として、自分で自分の学習の成果を目的を持って綴じていくポートフォリオを取り入れることは有効だ。
自分の未来を決定するような重要な進路の場面で「これまでの自分」であるポートフォリオを示すのは何故か?それは、そこから「これからの自分」の「可能性」を汲んでほしいからだ。
その時、問われるのは、ポートフォリオの作成者側ではなく、ポートフォリオを受けとめる側にいる、教師であり、学校であり、企業や社会の大人たちだ。ポートフォリオ・・・それは作成する者の能力より、それを受けとめる大人達の洞察力やセンスや眼力が問われれものである。
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■■■■■■■■■■ ポートフォリオの準備と未来 ■■■■■■■■■■
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■情報共有とコンセンサス
ポートフォリオの成功には、時間をかけた準備がいる。まずポートフォリオとは何なのか、教師、生徒、父母はもちろん、コミュニティーや進学や就職先にも広く理解
される必要がある。理解して貰うだけでなく、「コンセンサス(意見一致)」を得る必要がある。そして、もし父母や生徒から異議や質問があれば、きちんと学校へ意見や考えを申し立てることができるような体制もいるだろう。学校や教育をよりよくする改革は、情報共有とコンセンサスが、鍵なのだから。これまでのように、学校(先生)におまかせします、ではなく、そのプロセスから対等な立場で、父母達と話し合い
、関わり合いながら進めることも大切だろう。そのためには、校長先生をはじめ、先
生ひとりひとりが、社会に対し、「きちんと説明できる力」と「説得出来るだけのしっかりとした信念」が必要だ。まず、大人達にこそ、自分自身の確かな考え、表現力、
コミュニケーション力がなくては、ポートフォリオも、教育改革も始まらない。
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■自己評価と教師の眼差し
新しいことにチャレンジできる、前向きな教師が必要だ。また「評価の基準や観点」
は何か、生徒も共通して理解している必要がある。...教師の洞察力とセンス、そして愛情が試される時だ。
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■評価基準・少人数クラス・教員研修
教師によって「評価基準」が異なる、というわけにはいかない。全教師間で学年や教科を越えて、評価の基準づくり、「ルール」、「観点」、「分析法」をすり合わせる必要がある。また充分な「教員数」や「教育サポータ」の支援、「小クラス」であることがやっぱり求められる。
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■知の共有--電子ポートフォリオ
カリフォルニア州サンフォゼの高校では、生徒は、自分で決めたプロジェクトを進
めながら、マルチメディアでポートフォリオを作り「卒業プロジェクト作品」としていた。その制作の過程の情報やデータや制作の様子もすべてポートフォリオとしてサーバーの中に残す。優秀なポートフォリオは、「教材」として「共有の知」となるという素晴らしい可能性を持つ。
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■未来に役立つ、知と感のプロセス
「企業や学校に入る面接の際にポートフォリオを提示出来る」「自分のコアコンピタンスを見いだせる」ポートフォリオは、自分の進路に役立つ。
自分の成長が見えることは喜びであり、時に生きる意味を見つめることにもなる、自分の未来デザインを描く際にもきっと役立ってくれるだろう。ポートフォリオ...それは、ひとりの人間の「知と感の進化のプロセス」と未来をひらく素敵な宝物だ。
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■■■■■■■■■■「パーソナル ポートフォリオ」■■■■■■■■■
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■ 私に限らず、建築家、コピーライター、写真家、ジャーナリスト、デザイナーなど、定型化せず独特のスキルや個性でオリジナル性の高い仕事を自分で開拓していくプロたちは、自分のポートフォリオを必ず用意している。一枚の経歴書や、名刺だけでは、実力やセンスや価値観、表現力などが伝わらないからだ。
「あなたは何が出来ますか?」という問いに対し、私なら自分の「仕事歴/ポートフォリオ」を見せるだろう。同様に、学生も「成績表」を見せるよりも、自分でつくった「学習歴/ポートフォリオ」を見せた方がずっといい。そこには点数刻みではな
い、その子の全体が表れ、その子だけが持っている特徴や個性やスキルが伝わるばかりでなく、「自己確認されたの成長の軌跡」さえも見えてくるのだから。
PS:
もちろん、いまあなたが見て下さっている、このホームページも「私のポートフォリオ」。
(さらに新刊に詳しく書いています。)
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■■■{後 記}■■■
ポートフォリオや未来教育については、米国在住のきよみ山崎ハッチングスさんに本当に多くの価値あることを学ばせて頂きました。それは、知識に終えず、生きる上での姿勢や誠実な心も含めてです。
私がいま未来教育について世の中へささやかでもお役に立ててるとすれば、そこに、きよみ山崎ハッチングスさんの存在を忘れることは出来ません。ハッチングスさんに心から感謝しています。
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