未来教育... 
アラスカ 
<--> 矢部村 / グローバルプロジェクト
Subject: アラスカ未来教育紀行by鈴木敏恵

小さな村の小さな子、日米未来教育-大きな絆

========全校生徒13人..アンカレッジ物語===========

     〜ラストネィーチャーに飯干太鼓、響く〜

資源に恵まれたアラスカは豊か。教育程度も高い。子ども1人あたりのコンピュータ

台数は数年前より、全米一位と聞く。

地球のラストネイチャーと呼ばれる広大な大地に暮らす人は精神的。物質的な豊かさ

より、心の豊かさを静かに求め教養高く暮らす人が多い。自然が厳しいぶん、人々は

助け合い尊重しあい慎みを知る。極北の水はほんとうに美味しい。北斗七星が天上に輝く地。

神聖で静寂なこの地が、なぜか情報テクノロジー時代にもっとも似つかわしく感じる。

★2000.2.19(福岡空港--ソウル経由--アンカレッジ空港到着)----

矢部のみんなは福岡空港からソウルへ、私は神戸で講演後、関西空港から少し遅れて入る。

ソウル空港、17番ゲートで合流。ウンいる!矢部のみんな、子ども達。夢か現実か!

うれしいよ!

2月19日の夕方に日本出国、19日の昼にアンカレッジ着、時差はマイナス18時間。

アンカレッジ空港、米国入国審査。

到着したのは午後。学校の先生や教育委員会のメンバーとツアーガイドの古賀勇さん

と私、鈴木敏恵が子どもたちを包むように異国の地に到着。入国審査は、ひとりづつ

。一年生のあいちゃんもみんなです。入国審査官の座るたかいカウンターより子ども

たちは背が小さい。髪の毛が見えるていど、彼らは一生懸命背伸びして、顔を審査官

にみせています。後ろに並ぶ大人達の、みててはらはらの眼差し。

★2000.2.20(公演前日の練習)------------------------

さきに輸送した太鼓に久々に会う子どもたちへ池田先生が言う。

「太鼓に、よく来たねといいましょう、撫でてあげましょう。ウン、ちょと叩いてこ

らん。」...放つことを封じ閉じこめられたような鈍い音。「・・なんかアラスカで

聞く音、違うね?どうおもう?」、子どもたちの意見「高い、ひびかない、へんな音・・・」。

 

「そうだね、これがアラスカでの音です。飯干小でやっているとおりにやってください。」

「ずいぶんやっとらんけんね」と、大人びた子どもの声。

「これから練習を始めます、礼」、直後「覚悟」に似た意志が、13人全員に行き渡

る。かつしくんが両足に力を入れ構える、みんなも続く。「ハッーー・・・」こども

たちの表情が一変する、全員に「気」が入る。高く明瞭な声が、その場の空気を一変

させる。男の子たち、なにかに向かっていくような強い構えの姿勢になる、武士の表

情。女の子、口元、視線、全身がきりっと締まった。ひとりひとりになにかが憑依し

たような静かな深い勢いが宿る。

・ ・ ・ ・ ・

日本太鼓独自のかすれ、余韻、響き、間、ひと呼吸・・・乾燥しているこの地では、

難しいかと思った瞬間に、大太鼓がみごとにずしんと空気を破り、正面に立つ私の全

身を貫いた。さっきまで寝不足でちょっと休んでいたあつふみくんの表情が変わって

る。ゆうたくんの「ハッ!」という声で、一段と勢いが増す。みんなが一斉に、「ハ

ッ!」と声を前に出す、連打。全員が一定のリズムで、要の右足と控えの左足に重心

を揺らがせ全身でリズムを大きくとる、見る者の魂を奪いとる、凄くいい。小さくか

すかな連打に徐々にひとりひとりが加わり,段々音が大きくなる。連打、連打、連打!
すべてがその瞬間にひとつに集中。

共振........天井シャンデリアの一部、手のひら程の「飾りカバー」が真下に落ちた。

★2000.2.21日〜22日---------------------------------

第一回目の本番。「キャプテンクックホテル」にて公演。

教育委員会のパトリシアさん。サンドレイク高校のジャニス校長、テレビ局や新聞の

お知らせなどを見て集まってくれた。金髪やブロンドの白い肌の人、中国系、日系人

・・赤ちゃん連れの若い夫婦、杖で要らした年輩の方、そして日本総領事館の辻本夫妻、

アンカレッジ教育委員会、たくさんの前で飯干太鼓がはじまる。

国が違っても、人間の心は同じだ、技術でなく、器用さでなく、真摯で全身全霊の演

奏、魂、誰をもの琴線を大きくかき立てた。演奏終了。一瞬シーンとなる。良かった

、大きな拍手の音が大ホールに。苦労が刻まれた皺、黒髪の日系人らしき人々が涙を

拭う。その表情に、日本人である誇りと故郷への慕情が。

 子どもたちは大変すばらしく、観客は、みな真剣・のめり込み姿勢・感動・立ち上

がり・拍手なりやまず。誰もが純粋さ、真摯さに精神が清められたような・・・矢部

村の大人達、関係者みな、もちろん私も涙あふれ、感激という言葉では言い尽くせない感激。

 

翌日は、いよいよ学校で太鼓を叩く。

・「ダイモンド高校」2000人の高校生が総立ち拍手喚声!これが米国!「スタン
ディングオベイション!」

・「サンドレイク小学校」、日本の小学生が演奏、米国の小学生が聴く、子どもと子

ども。拍手喚声!演奏後、子ども達同志の交流、みてて楽しい嬉しい。

・反響は素晴らしく、アンカレッジデイリーニュース新聞の一面を飾った。テレビニ

ュースも2局で。

・辻本日本総領事からお誘いを受けた。閑静な住宅地にある、総領事のご自宅でもあ

る公室へ、山盛りの美味しい日本食、子どもがすきなピザやプリンもちゃんと!丁寧

に食べきるだけお皿に取る、お行儀のいい矢部村の子たち、なんとなく私も誇らしい。

・22日、私は、建築家の方々や教育委員会のテクノロジーコーディネータの人々へ「

未来学び舎のプレゼンテーション」。教科書英語とはほど遠いが、パッション届けと

ばかりにスピーチ。とてもスマートにできた、みな大満足、すごく感心そそられた、

役に立ったと握手。見守っていてくれた、マークさんとハッチングスさんが、にっこ

り私を見る。よかった!

・アラスカを発つ日、夜明け前というより夜更け。夜中の1時にアンカレッジ空港へ

向かうなか、「オーロラ」が現れた。バスから降りて雪の上に立ち、みんなで天上を

見上げる、グリーンの大幕が舞う、薄い虹色のカーテンが幾重に揺れる。そして濃紺

の夜空に鮮やかに北斗七星が輝く、それはアラスカ州旗のデザインのまま。奇跡は不

思議さもなく子ども達を歓迎し続けた・・・神様ありがとうございます、あなたは、

最後までなにもかも完璧に素晴らしき一瞬一瞬をプレゼントしてくれました。......

....「帰るの、ちょとさみしいいキモチがする」、空港へ向かうバスの暗闇のなか、

かつしくんの声。サンドレイク小学校で沢山新しい友達が出来たんだよね、バイバイ

するとき手を振り続けたね。たった4日間だけど、すごい事の連続だったもんね、私

たち大人もじーんとしてたんだよ。

さよならアラスカ、子ども達の夢を咲かせてくれてありがとう。

   ★〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜★

    「アラスカで飯干太鼓を」という夢の始めは・・・

数年前から、私は未来教育の旅を年に1、2回していた。

1998年の初冬、はじめて訪れたアラスカ州アンカレッジにあるサンドレイク小学校で

、日本語を学ぶ米国人の子どもたちを見た、それはジャパニーズイマージョン。私に

子ども達は、コンニチワと話しかける。「ああ、日本との小学生同志の交流が出来る

」ハッチングスさんと共に夢の種が心に植わった。帰国後、即、矢部村に電話。1999

年の2月22日、ちょうど一年前、米国サイドの同じ夢のアメリカのパートナーたちと

矢部村訪問。飯干小学校全校生徒13人の太鼓にみな感動、涙。「ああ、アメリカの大

地で太鼓を叩かせてあげたい」と願った。子ども達は、信じていた。一生懸命に太鼓

と英語をしてアメリカへ行くという夢を。・・・それからいろいろあった。出来るこ

と全部した。みんなみんなの努力、知恵、工夫。1999年暮れ、私はまた矢部へ行った

。矢部村の皆さんへアラスカのこと話したときも、まだ多くの人は半信半疑、そんな

夢のようなこと・・・でも叶った!奇しくも2000年2月22日、一年前のあの夢のきっ

かけとなった日から丸一年後、夢は結実した。

いまは幼いあの子たち、でも大人達の様子を肌で感じていたはず。どんなに大きな夢

でも、遥かな夢でも、諦めずすべてを尽くして向かう時、叶うこと・・きっと彼らは

いつか自分のこととして気づくだろうか。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

帰国後、3月にはこの全校生徒13人の飯干小学校は閉校。村には、矢部小学校がたっ

たひとつの小学校となる。

飯干小学校の子達の殆どは、全校生徒70人ほどの矢部小学校へ転校となる。

しかし夢のスタートは、これからだ。

新しい春から、矢部小学校とサンドレイク小学校のグローバルプロジェクトが開始す

る!インターネットでメール交換やテレビ会議システムを使い、アンカレッジと福岡

県矢部村の子どもから大人までの国際コラボレーションがスタートするんだ。

ゆっくりと未来は、これから花開くんだ。

 

逞しさ、愛情、厳しい練習、幼い者同志の兄弟姉妹のような関係、夢を叶えてあげる

ために画策する大人達の知恵、努力、迷い....信念。未来への決心は、花や実へと続く。

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幼い彼らの勇姿。決して弱音を吐かなかった健気さ。見事な飯干太鼓。

ほんとうに、矢部村の子とアラスカの大地にいるんだ、ここは極北の地なんだ、あの

太鼓をアメリカの人々に聞かせられる.......道中、毎分毎秒、神様に感謝していま

した。その度に涙溢れました。

私は、この夢のような日々をたった一日持てただけでも、輝く素晴らしい人生だった

と感じます。ハッチングスさんマークさん、矢部のみなさんありがとう。

 

あの可愛い純粋な子達が将来、大きな町へ出た時に、不善や闇への誘いへのることな

く、逞しくあの優しさを失わずいますようにとつよくつよく祈らずにはいられません

、そしていつかその将来も彼らの役に立てる私でありますようにと願います。

子どもは未来の源です。小さな村の小さな彼らが、日米の未来教育への大きな絆つく

ってくれました・・・ささやかでもそれは、いつかきっと世界の平和に続くと信じます。

 

交通や情報流通が不便な僻地と言われる地には、何かが生きている。都会化、近代化

で私達が失ったなにかが。

逞しく生活に子ども自身が関わり、家族を助け役立つ喜び。自然の厳しさゆえに、毅

然と日々を覚悟して生きる慎み。

そして村中の誰も彼が、幼い子達を大切にし可愛がる日常。「他人の子」は、この村

にいないのです。子ども達は、村の宝物として、全身全霊で大人達に関わられ育てら

れます。

しかし...いまこうしている時にも、世界の大都市にはストリートチュルドレンがい

ます。どうしていいか、私にはわかりません。ただ、切ない気持ちでおろおろと気持

ち落ちつかずいるばかりです。

 

叶わないことでしょうか?世界中の子ども達のみんながせめて一回でも・・・矢部村

の子のように愛された経験を持ちますようにと祈ります。愛情深い眼差しを注がれた

一瞬をたった一回でも、もちますようにと祈ります。

さあ、私は次の未来教育への扉を開きに行きましょう

・・・13人のみんな、ありがとう、夢が叶うこと信じさせてくれてありがとう。こん

どあったら横笛の吹き方教えてね。

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{アラスカを知っていますか???}

★「超自然」アラスカ
 生命エナジー満ちるアラスカ。そのおおらかさ、神秘性、果てなく連なる神々しい山脈は、シャングリラそのもの。深く青い空、純粋な光が水下まで融ける氷の大河。
 多角形のしっかりした氷の結晶を口に含んでみた、しっかりと濃厚な水のテイストと感触、氷河PORTAGE GLACIER、眩しい光、そこは神が創った荘厳なる祈りのスペース。

 ここへ来るべくして来た、はっきりそう感じた、二度目のアラスカエアライン。飛行機の窓、眼下は壮大な白く尖った山頂の果てしなき広がり。

★スケールとクオリティー
 アラスカは、訪れる者の魂を蘇らせる不思議なエナジーを持つ。この地に住む人は 、この地に心奪われた人だ。
 都会の雑踏からも、情報カオスからも物質的価値観からも、離れ、高いスピリットを持つ人々。
 知性を、自然を、人々を、大きく敬うことを知る人々。
 アラスカの語源は、アリュート語で「偉大なる陸地」。畏敬の念を抱かさせずにはおかないスケールとクオリティー。

★沈まない太陽
 5月31日夕方、東京成田空港を発ち北東へフライト。シアトル経由、同日昼、アンカレッジ空港到着....日が沈まない、夜10時でもまだ日本の4時くらいの感じ。
 6月下旬が一年でもっとも昼の長い時期という。
 その時、アラスカ北部では太陽が沈まない。南部のアンカレッジでさえ、太陽は夜10時に沈むが真っ暗になることはなく。
           夜中の3時ごろには朝焼け。

★最も、近くて遠い土地
 アラスカは、日本に一番近いアメリカ、距離的にも時間的にも最短。
しかし私達は、どれくらいアラスカのことを知っているだろう? 
 合衆国の1/6にあたる広大な面 積、人口61万人(半分アンカレッジに集中)、州民の58人に一人は、パイロット の免許を持ち、59人にひとりは、小型飛行機を持っている、この事実が、この地の雄大さ厳しさの象徴か。
 州全体の1/3以上が国立公園、天然ガス、油田、水産物... 所得税を払う必要がない州。

★原住民、戸惑う誇りと魂
 1959年、アラスカはアメリカ合衆国の49番目の州に。
 国、州、そして原住民 の間で分割された土地の権利、1971年法案成立。
 しかし、「土地の私有財産」という概念は原住民になじまない...土地は所有するものではなく、ただそこにあり、恵みをくれる崇高なものだったから。
 浸食する白人文化とのギャップ...狩り、文化、 暮らし、そして価値観その急激な喪失が、彼らの誇りを失わせ魂を苦しめる。
 自らの手で家を作り、獣を射止めていた時の尊敬は、もう得られないモンゴリアンの男達。

★苦しめたのも教育、救うのも「教育」
 彼らを苦しめたものは新しい知識や教養と呼ばれる文化-教育。
 拠り所を喪しない、酒や薬におぼれる原住民もいる。
 押し寄せる近代化、文明の波で、自己を失わないためには、きちんとした知=「教育」が必要、というパラドックス。
 100年前の日本にも似た、近代化との混乱、カオス。それは社会が避けられない宿命か。
 進入する新しい文化に押し流されないために..........人々を苦しめたのも教育、救うのも「教育」という現実。

----------{未来教育/グローバルプロジェクト開始しました}-----------

    時は流れ、インターネット時代

★1998年10月--アラスカ
 未来の教育に重要な意味をもつ「遠隔教育」に深い関心をもつ私は、まさしく「遠隔教育」が活きる広大な大地、アラスカへ行きました。........昨年のこと。
 広大な大地に点在する集落と学校。
「自分で、小型飛行機を操縦して、へき地の学校をまわるんだ。 」と逞しい州政府の情報教育部長。
「石油や海の恵みなどこの地の豊かな資源が、枯渇した時、子ども達が生まれたこの土地を去ることなく、生きていけるように、インターネットで世界を相手に仕事をしていける力を育ててあげたいんだ!!」信念をこめて語る。
 その視線は、厳しい大地の未来を見ていた。

★ジャパニーズ・イマージョンとの出会い
 アンカレッジの公立小学校を訪問。アラスカの子たちが、理科も算数も授業の始まりから終わりまですべて日本語で学んでいた。
 それは、「ジャパニーズイマージョン 」という授業。
    教師は、日本女性。

★ここなら、小学生同志で交流可能だ!
 学校間の国際交流学習は「言葉」がネック。ゆえにどうしても英語ができる「高校 、中学」が多くなる。
 しかし、この小学校ではジャパニーズイマージョンをしている !!!。ありがたい、アラスカの子たちが日本語ができる!。子供同士、生の声や表情で 、気持ちや知や感動をやりとりできる!。ここなら、小学生同志で交流可能だ!。

★{未来教育プロデュース開始}
 プロジェクトを成功させる最大のポイントは、なにより「会う」こと。
 実際に会って、話したり、食事をしたり、夢を語りあったりすることが必要。
「ゴール=夢」や要素、条件などを充分に話し合うことが不可欠。そして、ともに「チームビルディング」のフレームワークデザインを事前にすることだ。

★帰国後、矢部村へ電話する
 米国サイドの関係者と構想開始。
 日本の相手校として、福岡県の矢部村を候補と考え早速、教育長に電話をする。
 矢部村は、福岡県の小さな村。教育長がNHKテレビに出ていた私を印象深く記憶。後日、私に連絡を下さったことが、私と矢部の交流のきっかけ。

★98年12月:鈴木、矢部村に行く
 --講演--教育長はじめ教育関係者や村民にアラスカの話しをする。
「総合的学習にグローバルプロジェクトをしませんか?」と提案。みんな大賛成!!。

★99年2月:鈴木、米国教育関係者を連れ矢部村へ。
----アラスカ州マーク氏&オハイオ州マイク氏教育関係者と矢部村へいく。
小中学校 親善訪問。人口2千人に満たない村に英語とアメリカに対する関心とムードを広げる 。
「西日本新聞」第一面にて紹介http://www.nishinippon.co.jp/media/news/9902/0226h.html

★99年5/31--矢部教育長と再びアラスカへ行く
 プロジェクトを成功させる(=夢を叶える)には、綿密な「準備」と「勢い」が必要だ。
 矢部村サイドに、「顔入りの英語の名刺」「矢部村の紹介文書とビデオ」「子ども達の英語による挨拶集録、伝統芸能などのビデオ」「姉妹校条約書」「矢部村産のお茶や急須など、お土産」「大きな、日本地図・九州の地図」「矢部の子ども達の習字や絵など作品」等々の準備を指示、鈴木、矢部村の教育長等とともに再びアラスカへ行く。

★6/1---姉妹校条約成立させる
 アンカレッジ市のボブ教育長、キャロル副教育長、パトリシア校長、教育委員会の前で、私達が未来教育プレゼンテーション。
 ビデオによる矢部村の紹介、子ども達が英語で自己紹介する映像に関係者一同、心動く。
 矢部村の椎窓教育長も日本伝統の大きな平ゴマのパフォーマンスを披露する。姉妹校条約の話を持ち出す。
ボブ教育長、キ ャロル副教育長、パトリシア校長、私達の情熱に、心開き、頷く。
 書類にサイン交換 、「姉妹校条約成立」......大成功。

★継続は、誠実さの証拠
 子ども達にとって大切なことは、イベントではなく、永くずっとつき合える安心感。
総合学習でこのグローバルプロジェクトを行うには、継続性が不可欠。継続は、誠実さの証拠でもある。
 そのためにも「姉妹校」として交流できることは有効、有意義なこと。奇しくも1999年は相手校にとって「ジャパニーズイマージョン開始10周年記念の年」だった。

★1999年6月1日、鈴木敏恵のはじめての国際プロデュース成功!
  大きく5つの交流案を交わす。インターネットやTV会議システムによる交流そのものに意味があるのではない、コンセプトこそ大切なんだ、その自覚も双方共通。

★★★2000年4月にアラスカで行われる米国情報教育の大会でプレゼンテーションする約束を交わす。
 アラスカと矢部の子の短期間交換留学など構想実現も話し合う。

 教育もテクノロジーも、愛のため.....矢部の未来に、アラスカの未来に、すべての子ども達の未来に幸多かれと....!


。。。敏恵の未来教育提言〜1998編その2

   〜カナダ・アメリカ未来教育探訪レポート編

「アンカレッジ薄紫の地球…未来教育旅行」

東へむかう夜間飛行は、祈りの場。
寝付けないシート、右の小さな窓を見る
真ん前に荘厳で、それでいて懐かしいオリオン座
流れ星がきっと・・と思った瞬間に続けて3つ、そして1つ
願い事はしませんでした。
いまが願い事のままだから
感謝の祈りだけつつしんでささげました。
   ・ ・ ・ ・ ・
日付変更線を超え、2度目の22日、木曜日。
青空のロサンゼルス、未来教育へのカンファレンス。
アップル社のブースでは12才のハッチとハナが
自校のコンピュータシステムを素晴らしく説明。
スタンフォード大学のホーリーさんは
優しさと誇りでたくさんの方と言葉を交わし歩く。
学んだことは、WIN WIN SOLUTION!
    ・ ・ ・ ・ ・
紅葉のバンクーバー。訪れたスマートスクールは、
ハイテクで子供たちの未来を開けるか、挑戦。
耳の聞こえない子、TV会議で手話でコラボレーション
6千マイル離れた学校と一緒にニューズレター制作。
自作のCD-ROMをはにかみの笑顔で紹介してくれたのは、
ちょっとハンサムなアジアからきた少年。
この学校のweb担当は、ボスニアからきて2年目
背の高い金髪の痩せた少女。
どの子も、英語は不完全、でも!
マルチメディアが生きる自信を与えている!
  ・ ・ ・ ・ ・
アラスカ アンカレッジ 雪の山々は薄紫遥かに続く
予測を超えたその美しさ、不思議さ
それはむかし見た映画のなかのシャングリラそのもの
その神聖さ、不思議さ漂う極限の地、アラスカよ

アメリカ大陸の幅をもつ広大な地
アラスカ人口60万人うち30万人がアンカレッジ。

ニイチガニ、ニサンガロク・・教室から聞こえる!
地球最北端の都市の小学校で!
幼き子たちと交わせる日本語に興奮する私。
髪の色、肌の色、全部いろいろ、いろんな子たちが
理科も算数も全部日本語で丸ごと学んでくれる素敵さよ!
それが、ジャパニーズイマージョン!
「世界には、もうボーダレスという言葉自体がなくなるだろう、
なぜなら国境という概念自体がなくなるのだから」そう言った国際企業人の友を思い 出す。
  ・ ・ ・ ・ ・
2度飛行機を乗り継ぎ、サンディエゴ空港到着は夜。
再会のJIMとうれしくてBIG HUG!!!
私たち、SOUL MATEだもんね!っていったら 体中でうれしそうにいつまでも笑ってた。

これから誕生する学校、いま建設中の学校、完成4年目の学校
いずれにしても今日は、10/30 ちょうどハロウィン!!!
学校の受け付けには、白雪姫と道路工事作業服姿その奇抜さに大爆笑!
気を取り直して、校長先生へ面会申し込み、案内されたのは、中庭。
スーツ、ネクタイ、サングラス、上から下まで真っ黒づくめ、 COOLな一団が私に迫る、恐いマフィア!!!
えっー!!この中に校長先生が!
なんと一番かっこいい、細身の女やくざ(?)がプリンスパル!
もちろん子供たちもハロウィン!!
ピエロ、あるく葡萄の房、ネズミ、真っ赤なドレス、 テクノロジーコーディネータは、バットマン! とうとう一度も素顔は見れず。でも、
まじめに情報教育推進の問いかけを交わす自分がまたおかしい!!
楽しい、楽しい、楽しい、学校中に人間らしい生きる喜びあふれてる!
  ・ ・ ・ ・ ・
ありがとう!ありがとう!ありがとう!!!
私たっぷり、ゴックンしたよ!学んだよ!
ありがとう!ありがとう!ありがとう!!!
私かならず、このエナジー、力にするからね!

生きるってなんてすばらしいだろう!
だから、おしみなく
この身、この心、ここですべてつかいきりたい。
この身、この心、すべてここにささげたい。
細胞ひとつ残らず使いきりたい!私はニッコリわらってこの世とサヨナラするだろう。


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